DESIGN NOTES
松本峯太郎が建築について考えます。
設計することは「無」から「形あるもの」を創るお手伝いのようなものです。たくさんの職人さんと提携しあいながら一緒になって作らなければなりません。しかし、今職人さんの高齢化や急激な減少を見るにつけ嘆きを感じます。家作りにおいて私はこの職人さんの「手の跡」が見えるような仕事をしたいと思っています。
現在、全国でプレハブ住宅が蔓延しています。都会でも田舎でもところ構わず組み立てられており、とりわけ田舎の風景の中では目立ちます。これでいいのでしょうか。家が「商品」になっていくのを大変苦々しく思っています。遅きの感はありますが、私共設計を業としている人達は、こうした状況を少しでも良くする為に立ち上がらなければならないと思います。
さて、私共設計事務所は一体どんな仕事をしているのか、そして、どんな立場で仕事をしているのかを述べたいと思います。
まず、プレハブ住宅と異なり特定のパターンやスタイルを持っていません。個人個人の考え方やライフスタイルの違う住まいを設計するわけですから、(個性はあるが)建主と設計者の思いが表現されていなければなりません。またその表現されてできた建物が個性的であること(巾があること)が認められなければ設計者としての存在価値がありません。その為に、1+1=2という単純な答えが導かれる設計では無く、建主と意見を交わし合い、信頼関係を築き上げた上で、+αのものを創り上げなければならないと考えております。
また、私は本来どんな家を建てるかということより、何処に住むのかという土地の問題が重要だと考えています。 それぞれの生い立ちにより異なるとは思いますが、少々離れているようでも大都市のことを考えれば、私達の職・住はせいぜい遠くても1時間圏内に納まります。その圏内で考えれば安くて広い土地が求められます。(敢えて言えば緑の多い住空間が理想です)。 そして大都市では望めない、 より伸びやかで広がりのある家作りが可能です。
私は、その伸びやかな空間作りをテーマの一つとし、また子供達にとって健康で快適な木造住宅作りを常に模索しています。その中でできることなら三世代・四世代が同居し、おおらかで楽しく暮らすことができたら素晴らしいことだと考えています。なぜなら、分かりきったことですが、家族が多いことはそこで繰り広げられるパフォーマンスが豊かになり、ひいては家族の(特に幼少の子供達にとっての)情緒性が大きく育つ要因になるからです
近年、山陰でも核家族化が急速に進行してきました。
「家族」と「個人」の在り方が問われているのかもしれません。そして、それに同調するように郊外に大規模な宅地開発が進み、アッという間に集落が形成されています。しかし、画一的な建物形態とその薄っぺらさはどうしようもありません。もっとも土地と建物の両方を取得し、尚且つ豊かな家作りを求めるのは無理があるのかもしれません。 しかし、その中にひとつふたつは気の利いたものもあるはずです。
門を叩いてみて下さい。
家族が代々継承されていくところでは土地取得の負担がありません。しかし、それは核家族化の進行を止める力になっていません。淋しいことですし、複雑な思いです。
山陰では全国のどの地域よりも早く高齢化率が20%を越えたところがあります。その問題を住居等に反映し、作っていく必要があるように思います。それはただ単に公私の空間をそれぞれバリアフリーとしたり、手摺を設けたりするだけではなく、高齢者が孤独に陥らないような仕掛けが必要です。
例えば、ドイツでの老人住居は窓を道路に面して設けなければならないそうです。内と外にいる人が声を掛けあったり、顔を見つめあったりできるからです。つまり、近隣の人々に見守られ、ともに地域の中で生活することを可能とし、そのようなコミュニケーションの中で一番大切なそれぞれの思いのある日々を全うできると思うからです。
私は「風土」と言う言葉が好きです
自然と人間の営みの歴史的集積
だと言います。このことを住居を通して考えた時、そこに暮らす家族の物語を作っていく「場所」であると言えます。 又、その家族にとって快適で健康的な空間を作ることが私共の使命であり、本分だと考えています。